どうして若い世代のPC利用率が年々低下しているのか

パソコン見放す20代「下流」携帯族:FACTA ONLINE
この記事を読んで「あぁ、やっぱり事実なのか」とあらためて考えてしまった。


人事という仕事をしていると、10代、20代前半の若い入社希望者や新入社員と話をする機会が必然的に多くなる。
その中で4,5年ほど前に気づいたのが、PCをもっていない人が約70%程度いるのだ。
「それで困らないの?」というのが私の率直な気持ちだった。
彼らはPCの便利さを知らないから、携帯によるネットアクセスの不便さを理解していない。
どうしてその事実を知る機会がないのかと言えば、この記事にもあるとおり「格差社会」に行き着く。
私の考えでは何の格差かと言えば「親の見識」の差だと思う。


今でこそ「格差社会」と声高に唱えられているが、これまでの人生を思い出せば分かる。30年以上前から(ひょっとしたらもっと前から)格差はあった。
私が小学校の頃から、いわゆるハイソな生徒と底辺な生徒はいて、その親のレベルがそのまま反映されていた。
そのレベル差は、今よく言われている親の「収入」差ではなく、親の「人生観、社会観」の差によるところが大きかったと思う。


当時は強固な年功序列による昇進システムで、また年齢による賃金加算部分の賃金構成比率が高く、高卒であっても年齢を重ねると結構な賃金額になることができ、同年代であればさほど賃金格差はなかった。
しかし「見識の差」は相当にあったと思う。「言われたことをやるだけの人間」と「アイディアを生み出す人間」、「自分のことしか考えない人間」と「よりよい社会作りを意識していた人間」。
結局そのときの見識の差が、その次の世代に相当強く影響しているように実感する。
親の影響は強く、多くの場合、子は親のコピーとなる。
子が自力で見識を高めているケースは、いろいろな人を見てきた限りはレアケースのようで、親の影響は根強い。
その結果が現代の「収入格差社会」である。
だから卵とニワトリの関係で言うと、卵は「(親の)見識の差」で、ニワトリが「収入の差」なのだ。
それ故、賃金格差を埋めようとする努力よりも、子ども達へ直接いい教育を施すことが切実に求められると思う。
賃金格差を埋めても、結局また現代と同じような世代の人間を生み出してしまうことになる。